聖域

※この記事は単なる一般論及び個人的な考えであり、特定のゲームコミュニティ及び特定のプレイヤーを批判したり、中傷したりするものではありません。

「聖域」という言葉を辞書で引くと、神聖な場所という文字通りの意味のほかに、侵してはならない所・事柄、という意味が出てきます。聖域なき改革、などと主に政治分野で耳にすることの多い用法ですね。

さて、ゲームにおける聖域とはなんだろうか、というのが今回の問いかけです。もちろん一般論のことを言っているのであって、特定のゲームに出てくる特定の場所の話ではありません。

考え方は様々あるでしょうし、どれが正解でどれが不正解というようなものでもありませんが、個人的な考えを述べておくと、ゲームシステムへの不介入だと思います。プレイヤーは、各ゲームにおけるそれぞれのゲームシステムという規範の中で、好きなことをさせてもらえるのであって、その規範を逸脱してはならない、それがゲームというものだと私は思います。

これに関連して、私はいわゆる任意コード実行と呼ばれるカテゴリが非常に嫌いです。なぜ嫌いかと訊かれれば、大抵「つまらないから」と答えるのですが、そのつまらなさの本質は、ゲームシステムへの不介入という聖域が侵されていることにあります。任意コード実行という以上、原理的には如何様にもゲームシステムを乗っ取り、作り替えることが出来ます。これは果たしてゲームなのか、と聞かれれば僕は「プログラミングコンテスト」だと答えます。

ゲームシステムという規範を打ち破り、プレイヤーがゲームを支配する立場になったとき、「ゲームをクリアする」という行為は意味を成さなくなります。なぜなら規範を打ち破られたゲームはもはやゲームとしての体を成さないからです。何を以てクリアとみなすのかというところについては、人によって定義の分かれる部分ではありますが、僕に言わせてみればどのような定義を用いたとしても、ゲームという枠組みが崩壊した以上、そこにクリアという概念は存在しえません。もっとも、データ上はクリアしたことにすることは出来ますが。これが「つまらない」理由なのです。

任意コード実行がプログラミングコンテストである以上、ゲームを乗っ取って全く別のゲームを作る、といった試みは多少好意的に受け止めていることを付記して結びとします。